■□□■ フォトダマ通信Vol. 7「ゲーター祭り」の巻  ■□□■
                                    
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「よいさー よいさー よいさー」闇の中から男達の声が近づいてくる。
しぱらくすると「鬼はそとー 福はうちー」の声が港に響き渡った。
2003年12月31日の夜、一人神島の港にいた。元旦の明け方、ゲーター祭りが行なわれ
ようとしていた。

やがて、その声の主達は、港近くの道祖神に向かって「鬼はそとー 福はうちー」と
豆を撒き、残った豆を石の前に撒けきった。石の前には豆と砂利の小山ができてい
て、一升桝かバケツを手にした男達は、満足そうに家路へと向かった。

12月30日館林を夕方出発し、翌日、鳥羽に着いたのは、31日の午後3時を過ぎていた。
だめもとで神島の民宿に電話を掛けると案の定、満室との答え。「まあ何とかなるだ
ろう」と思い、シュラフとモーフを携え鳥羽17:00発神島行最終便の船に乗った。
日本石巡礼のスケジュールは、ことごとく変更してゆく。なにものかに突き動かされ
るように、それは突然やってくる。奈良のイワクラサミットしかり宮崎の銀鏡神楽も
しかり。しかし、それもまたいい、ある流れには逆らえない何かがある。

館林のスペースUで川島さんやオバナさん達と話をしている時、突然、新年の御来光
を海辺で迎えたいと思い立ち、元旦に行なわれる鳥羽神島のゲーター祭りのイメージ
が湧いてきたのだ。ゲーター祭りに関しては、まったくといって知識を持ち合わせて
無かったが、却って良いと思った。

神島の港には幾つもの漁船が並び、大漁旗で着飾っていた。外灯でも鮮やかな色彩が
伝わり、風に揺れて実に美しい。道祖神の石の回りにはいくつかの珊瑚の石が配置さ
れていて、横に二本の幟が立ち「海上安全」の文字が踊る。その横にベンチがあった
ので、しばらくぼーとしながら煙草を煙らせていると、お腹が空いてきた。売店でパ
ンと飲み物を調達しつつ、店の方にゲーター祭りや島のことを伺う。
神島では大晦日に節分を行なうといい、また、豆と一緒に砂利を混ぜて撒き、砂利の
事を豆砂と呼ぶ。豆砂とは面白い呼び名だ、貴重な大豆を多く見立てる知恵として生
まれたのかもしれない。

しぱらくしたら、集会場の二階でアワ作りが姶まるとの事。アワとは、グミの木、
和紙、麻紐で太陽を形どった直径2メートルの輪の事だ。
アワ作りにまだ時間が早かった。そこで砂浜に座り、腹拵えをしてムビラを弾きはじ
めた。しだいに風も強くなり、今夜の野宿は、かなり寒くなるだろうと、覚悟をして
いた。
2O分くらいたったろうか、ある50代くらいの男性が声を掛けてきた。彼M氏は、奈良
からゲーター祭りを見に来ていて、同時にイワクラを探しに神島に来たと言う。「こ
こ何年か、太陽の道(北緯34度32分のライン)をずっと巡っていて、どうもこの島に
は重要なイワクラがあるみたいなんや!」彼は言う。私自身も三年の日本石巡礼をし
ていることを告げると、しばらくイワクラの話で盛り上がった。M氏は昨日からこの
島に来ていて、周囲4キロ余りの島を三周して、お宝(イワクラ)を見つけたと言う。
「わしやー、イワクラを研究してるのと違うでー、イワクラ信仰者やあ!」M氏の言
う言葉に共感を覚える。

この十数年、聖なる場所を巡っているのは、撮影という目的もあるが、やはり自然
(かみ)への信仰心に近いものも強く感じていた。神島でイワクラの話に花が咲くと
は夢に思わなかった。

午後九時、島の集会場ではアワ作りが始まっていた。白装束姿の数十人の男達は、
「よいさー よいさー」の掛け声に合わせてアワが作られていた。入り口では、さっ
そく樽酒を振る舞われた。一合升酒を一期に飲み干すと、祭りの気分に変わった。
樽酒には奉納者の演歌歌手の鳥羽一郎と山川豊の名前があった。男達の掛け声は、
しだいに熱気と酒の匂いに満たされてゆく。
深夜零時近くになって、ようやくアワが完成する。何人かの若者は酒と祭りに酔い
「よいさ一 よいさー」と人にからんでいた。まるで何者かが乗り移ったように…。


風はいっそう強くなり、かなり冷えてきたのでM氏の薦めでテントで休ませて頂く。
何とも有り難い。おまけに年越しそばまでご馳走になり、明け方近くまでイワクラ談
義はつづいた。            ・
午前5時、寒さはいっそう厳しくなってきた。他に港でテントを張っていた若いカッ
プルは、強風に飛ばされそうになり、夢中で片付け郵便局の軒下に逃げていた。
 「テントの中も寒いなー、少し島を歩こうか−JM氏は言った。
我々は、テントを出て、島の民家の中を擦り抜け八代神社への石段を登り始めた。
だんだん体が、暖まってきた。それにしても、まだ明け方までは一時間もある。民家
と民家の狭い通路を風避けにしながらしばらく休んでいた。しぱらくすると民宿から
観光客らしき人々がたくさんでてきた。

午前6時30分頃、港には竹の棒を持った白装束の人達の姿がぞくぞくと集まってきた
。百人近い人達は、長さ5メートルもの竹の棒を持ち何かを待っていた。すると神主
に先導されたアワが担ぎ込まれ、港の広場に入ると、「よいさー よいさー」の掛け
声とともにアワに飛び付かかり、まるでラグビーのスクラムのようにアワに群がって
は、あっちにいったりこっちにいったりしている。すると突然、周りを取り囲んでい
た竹を持つ人達が一斉にアワの輪に竹を刺し始めた。「よいさー よいさ一」の掛け
声、竹どうしのぶつかり合う音が港全体を覆い尽くした。
見る見るうちにアワは、何本もの竹に串刺しにされながら天高く宙に舞踊りはじめた
のだ。まるでリレーをするように、アワは空中を竹づたいに移動しやがて海に近づい
てゆく。「まるで生け贅のようだ」竹に串刺しにされ宙を舞うアワを見て、そう思っ
た。

ゲーター祭りでは「天に二つの太陽なし」の掛け声で最後はアワを大地に叩き落とす
そうだが、その日の祭りでは、歓声で声は聞き取れず、アワも地面に落とされず最後は
人間同士の喧嘩で祭りの幕はおりた。
その後、何人かの人がアワを担ぎ八代神社に奉納すると、人々の初詣が始まった。人
々の顔はとても満たされたいい顔をしている。
参拝をすませ、神社のさらに上にある灯台に上がると、みごとな新年の御来光がゆっ
くり上り始めていた…。

ゲーター祭りの後、三島由紀夫の潮騒を読んだ。本の中の歌島は、神島であるが、風
景や八代神社の描写に目を追った。ゲーター祭りのことには、触れられてないが、島
のことを次のように主人公新治に語らせている。

「…どこを航海していても島のことを忘れず、島の景色が日本で一番美えように。
(歌島の人はみんなそう信じていた)、またア、島の暮しはどこよりも平和で、どこ
よりも仕合せになることに、カを協せるつもりでいるんや。…どんな時世になっても、
あんまり悪い習慣は、この島まで来んうちに消えてしまう。海がなア、島に要るまっ
すぐな善えもんだけを送ってよこし、島に残っとるまっすぐな善えもんを護ってくれ
るんや。そいで泥棒一人もねえこの島には、いつまでも、まごころや、まじめに働ら
いて耐える心掛や、裏腹のない愛や、勇気や、卑怯なとかはちっともない男らしい人
が生きとるんや」

神島は、小説「潮騒」の舞台になったことで知られている。しかし、三島由紀夫がこ
の島に来て「書かずにはいられらい、つきうごされる何か」が、この神島には、あっ
たということに注目したい。


2004.1.21 琉球へ向う船上にて                          須田郡司 拝

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