■□□■ フォトダマ通信Vol. 5
    
   「フォトダマ号の復活・大阪、お色直し、銀鏡神楽」の巻   ■□□■
                                    
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12月2Z日冬至、夕日を浴びたフォトダマ号に読経が響き渡っていた。埼玉県蓮田
市の天台宗中腰山慶福寺の本堂の前にフォトダマ号を配置し、友人のロータスが
「ヴォイス オブストーン キャラバン」の旅の安全と成就の祈祷をしてくれ
ていた。心の中で「ようやくこれで、フォトダマ号も安心だ!」そう思った。口
ータスは、慶福寺副住職関口亮樹(りょうたつ)氏の愛称である。彼とは友人の
田中淳一氏の紹介で、かれこれ七年近い付き合いになる。

その日、たまたま近くに来ていて、最近写真を掲載した雑誌を土産にお寺に寄っ
たところ、住職から声を掛けてもらった。丁度、慶福寺にある陶芸場の大掃除が
終わり、二十人近い人が集まりこれから親睦会が始まろうとしていた。住職は、
私を皆さんに紹介して下さり、キャラバンのチラシを配ってくれた。その上、美
味しい豚汁のご接待まで頂く。寺を後にしようとした時「ぐんちゃん、ご祈祷さ
せてもらうよ」とロータスは言った。ありがたいと思った。

ここしばらく、連続してフォトダマ号にはトラブルが発生していて、奈良、大阪、
埼玉で計三回の修理をした。大阪での修理から一旦、関東に戻り、慶福寺境内で
フォトダマ号に友人の匠が絵を描いてくれた。その後、石の神事を見たくて、宮
崎県西都市の銀鏡(しろみ)神楽にとんぼ帰りをした。高速を使わずに下を走り、
往復約30冊キロで六日間の旅をフォトダマ号はよく耐えてくれた。ここ二週間の
目まぐるしい体験を振り返りながら、ロータスの読経の声に耳を傾けた。

1Z月4日、三日目の大阪をJR新今宮駅近くのあるホテルに泊まっていた。明日、
フォトダマ号は修理完了予定だ。三畳テレビ暖房付で¥17闘の部屋からは、通天
閣のネオンがよく見え、道を挟んであいりん職業安定所があった。
深夜二時半、けたたましい消防車のサイレンの音で目が覚める。何台もの消防車
が近付いている。六階の部屋の窓を開けると、火事現場が目に飛び込んできた。
赤々と燃える炎、黒々と立ち上がる煙に何台もの消防車が近付いている。ホテル
から距離にして200mくらいでかなり近い。「えらい火事やで」と、他の宿泊者
の声が聞こえる。屋上に上ると、さらに勢いついた炎と煙が見える。
 「どうも付け火やで、また他の場所からも火が上がってる」の声に私は、いても
立っても居られず、火事現場に出掛けることにした。消防車は十数台はあろうか、
あいりん地区はかなりの人集りで、炎はなかなか消えそうにない。心配そうに火
事を見守る人達。ようやく火が消えたのは、出火から二時間位たっていた。すっ
かり眠気も失せ、あいりん地区を散策する事にした。

辺りには一泊5級~からZ冊0円位までの安宿が軒を並べていて、軒下には路上宿
泊者の姿も見え、独特の雰囲気を作っていた。朝5時、あいりん職業安定所がオ
ープンすると、路上宿泊者は起き上がり布団を持って建物の中に入って横になっ
ていた。安定所の中は、暖房が効いているのだ。施設の横には、日雇い労務を求
める業者のバンが並び始めていて、だいたい食事付で日当10000円が相場だった。
大阪は荒魂と和魂が混在しつつ、情け多き街だ。天王寺駅周辺のホームレスの人
達は、生き方にどこか哲学を持っているように堂々としていた。
その夜、応急処置を終えたフォトダマ号で埼玉に向け走った。

12月7日、慶福寺のマニワの塔に月光が照らされ薄が揺れていた。匠は腕を組み、
フォトダマ号と対話している。ロータスは、近くで焚き火をし、ジャンベを持っ
てきた。匠が絵霊を入れはじめる頃、ジャンベとムビラのセッションが始まった。
その日、朝から絵を描いてもらう予定だったが、グラッチワイヤーの交換に手間
どり絵を描き始めたのは、すっかり日が暮れていた。石井匠は、友人の曽我部晃
氏の紹介で、二年程前三人で富士山を登拝してから親しくなった。彼は圀學院
大学院博士課程で縄文考古学を専攻しつつ、本人いわく藷実家で異界をテーマに
創作活動をしていた。99年第二回岡本太郎記念現代芸術大賞展入賞、2∽1年第四
回猿田彦大神フォーラム表現助成選出を受けている。2002年の伊勢猿田彦神社お
ひらきまつりでは、「異界の風穴」をテーマに神社境内全域に5腿mに渡る空間
インスタレーションを展示した。そのインスタレーションを見てから、ぜひ匠に
描いて欲しいと思っていた。

夜もふけると共に、寒さも厳しくなってきた。途中、慶福時住職の差し入れを嗜
み、力水をいれながらようやく完成したのは深夜零時になろうとしていた。前面
には水や星の流れをイメージしたラインに玉、後面は燃えるような三つの玉に、
フォトダマ号の文字が入った。
 「よし、これで九州へお披露目しながら走れる!」そう思った。ロータスにお礼
を言い、寺を後にし、匠を実家の春日部まで送った。

12月14日の晩、宮崎県西都市の銀鏡神社の境内にはzeo人近い人々がいた。14日の
晩から15日のお昼頃まで銀鏡(しろみ)神楽の夜神楽が奉納されていた。この秋、
伊勢猿田彦神社のおひらきまつりZ003で銀鏡神楽が奉納された。神楽を拝見して
から、実際現地で見たいと思っていた。
七頭の猪頭が神饉として供えられると、お神楽は始まった。深夜零時を過ぎると、
眠けが襲ってきた。神楽は観客が眠ろうが関係なく、次から次へと、進行して
ゆく。それは、まさにその土地の神々に向かって奉納され続けているようだ。
午前三時頃、十五歳の少年の神楽舞が始まると、眠気はすっとんだ。端正な顔立
ちと見事な舞に、私も観客の多くも、舞に見せられていった。しだいに夜が明け
ようとしている。明け方の寒さは、一段と厳しいものがあった。しかし、舞手
はさらに厳しい。明け方には、天の岩戸開きが舞われていて、天照大神役の少年
はじっと座りながら、扇子を持つ手が震えていた。翌日のお昼過ぎまで、お神楽
は続いていた。

祭り最終日の16日、旅の主なる目的の神事が待っていた。−ノ瀬川の支流の銀鏡
川の川原のある石(磐座)の前で「シシバ祭り」が行なわれる。16日の午前九時
半、川原で焚き火がはじまった。神主が猪の頭を火に灸り、焼きはじめる。耳の
近くの肉片を削ぎ、七つに肉片は串刺しにされ、御弊、野菜、御神酒と共に石の
前に供えられた。御幣は、その石を挟んで前方と後方の石にも供えられた。
やがて神主の祝詞が奏上された。神事の後、御神酒と獅子肉が振る舞われた。
この石はどんな洪水になっても流れる事が無く、昔から神の石と言われているそ
うだ。猪の肉を供えるのは猪への感謝と供養だと言う。この「ししぱ祭り」の神
事を見た時、古くから繋がる人間と石との関係性を垣間見せられたように思った。
日向の国に、またじっくりと尋ねなくてはと思いつつ西都を後にした。

慶福寺でのご祈祷は終わった。死と再生の節目の冬至に新たなる思いを抱き、口
ータスに感謝し寺を辞した。

                                クリスマスイヴに埼玉にて 須田郡司拝

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